シリーズ 『中東和平は可能か?』 3.二つのシナリオを生む素地

2019.04.08 Monday

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    ♦1949年の休戦協定後の分割線

     

    1948年の5月14日のイスラエル独立宣言の翌日に、パレスチナ人は、「それは承認できない」、として反旗をひるがえし紛争が拡大します。

     

    エジプト、シリア、ヨルダン、レバロンという外国軍がパレスチナ支援に向かいました。

     

    この紛争あるいは戦争は1949年の休戦協定で一応終結します。

     

    左側がいわゆる分割決議案に基づく案ですが右側は1949年の休戦平和協定によって引かれた線です。紫色の部分はイスラエルが国連決議案より休戦協定で新たに領土として獲得することとなりました。

     

    つまり紫色のところが拡大された。この状況が二つのシナリオを生む素地となりました。

     

     

    イスラエルの立場からは1948年5月14日はイスラエルが独立した日。イギリスの支配を打ち破って、あるいは退けて独立を達成した喜びの日であります。

     

    それに対し1948年5月15日はパレスチナ人にとってはまさしく悪夢の日で、その日を期して、パレスチナは敗北をし、土地を失い、そしてその後の難民問題が発生しました。

     

     

    したがって、この国連決議案とそれに続くイスラエルの独立、この物語についてイスラエル人から話を聞くのと、パレスチナ人から話を聞くのとでは、まるで違う二つの物語となります。

     

    さらに不幸なことに、これが最終的な紛争ではありませんでした。日本におられる皆さんにとっての最終戦争は第二次世界大戦でしょう。

     

    朝鮮戦争もありましたけれど、直接巻き込まれた戦争ではなかったですね。

     

    私たちの地域においては12の戦争が起こりました。

     

    皆さんもご存知の6日戦争とか、1973年の戦争とかこの70年を振り返ってみますと、ほぼ5年に1度くらい大きな戦争が戦われております。

     

    これを想起することがなぜ重要かと言いますと、

    戦争というものがもし私たちの親とかおじいちゃんおばあちゃんとかそういう時代に戦われた何十年も前のことなら、今の若い人たちはその戦争のことをあまり知りませんから、「これから未来志向で,どうしたら和解できるか?どのように共存していけるか」という話が可能だと思います。

     

    しかし5年ごとに戦争が行われているという状況では、戦争への考え方から平和への考え方に切り替えるということは非常に難しいのです。

     

    ♦戦争のない平和な時代を希望

     

    私は海軍に勤務していた時代、不幸なことにこの戦争に参加せざるをえませんでした。

     

    しかしながら私は「自分は戦っているけれど自分の子供たちは、こんな戦争をしなくて済むのだ。平和な時代に生きるのだ」と確信しておりました。

     

    私には4人の子供がおりますが、4人全員陸軍に入って(イスラエルでは男女共に3年間の兵役義務がある)、やはり戦争と離れられない生活をしております。ですから私の希望は「子供の時代はダメでも、孫の時代は平和になるのだ」と。これが私の希望です。

     

    国際的な機関として代表的なものに国連がありますが、彼らの意思は国連決議案として発表されます。

     

    国連のこういう問題に関心のある方は、多分国連決議案194号とか242号とか、まあそういう国連決議案の番号で言われます。

     

    それは平和への道筋をつけようという意図で出されます。

     

    しかし国連というものの性格を皆さんご存知と思いますが、それに関わる異なる意図、異なるプレイヤーが常に存在していますから、国連決議案が必ずしも平和への道筋を引いてくれたとは言えませんでした。

     

     

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